NOTOFUE(ノトフュー)

一本杉 川嶋

川嶋 亨

Toru Kawashima

Profile

1984年、七尾市生まれ。日本料理店で総料理長を務める父の影響もあり、和食の道に進むことを決意。大阪の辻調理師専門学校を卒業後、大阪と京都の日本料理店で腕を磨き、地元七尾市和倉温泉の旅館で料理長を歴任した後、2020年、思い入れのある一本杉通りのにぎわいを取り戻すべく「一本杉 川嶋」を独立開業した。

「一本杉 川嶋」が大切にしていることは?

お客様にいかに笑顔になって頂けるか。
食事は楽しく笑顔で召し上がって頂くほうが美味しいんです。
なので味や見た目だけでなく、コミュニケーションも大切にしています。カウンター越しに会話することで、お客さんが能登の食材に関心を持ち、食文化や伝統に興味が芽生える。そんなことを意識しています。料理に関しては、能登の自然の豊かさや生産者の想いを一皿で表現するよう心がけています。

なぜ、NOTOFUEの活動を始めようと思ったのですか?

これまでも食材えらびの際は、産地に直接赴いて話をしたり、電話でこまめに近況を聞いたりと、生産者さんと密にコミュニケーションを取ることを意識してきました。それによって能登全体の食材を取り巻く環境を把握することができ、自分自身の料理の幅も広がることに気づいたからです。ただ、ときには親しい生産者さんから悩みを相談されることもあります。後継者不足や環境の変化による収穫量の減少など、多岐にわたる問題を解決したいという気持ちがこのプロジェクトの立ち上げにつながっています。

これまでに「資源の枯渇」を危惧する経験はありましたか?

子供の頃は料理人の父によく魚屋に連れていかれました。その当時と比べると、並んでいる魚の種類も数もかなり減っています。また、七尾の伝統野菜である沢野ごぼうの生産者も、昔は50件ほどあったのが今では十数件と激減しています。私が子供の頃は給食にも出る身近な食材だったんですが…。このままだと、いつか無くなってしまうのではないかと不安になりますね。

NOTOFUEを通じて、創造したい未来像はありますか?

一本杉通りは祖父が住んでいた町。幼い頃からよく遊びにきていましたが、当時は今では考えられないくらい人が行き交い、にぎわっていました。『一本杉 川嶋』は、その活気を「食」で取り戻すためにはじめたお店。この一本杉、ひいては七尾や能登の料理人と生産者が力を合わせて、能登全体に活気を戻したいと思っています。

今現在、資源の保護に取り組んでいることはありますか?

フードロスの削減という観点では、食材をあますことなくお客さんに美味しく召し上がっていただく意識はつねに持っています。また、資源を守る一方で「今あるものを活かす」ことも大事だと考えています。たとえば能登には、まだまだ輝ききれていないローカルな食材がたくさんあります。そういった食材に日の目を当てることで、生産者に作り続ける理由が生まれ、何十年先にも受け継がれるシステムが構築されると考えています。

最後にシェフご自身の意気込みを聞かせてください。

メンバー全員で、畑仕事や漁を体験してみたいです。生産者さんの苦労を肌で感じてこそ気づくこともあるだろうし、きっと料理の幅も広がるはず。まずは私たち料理人自身がこの活動を楽しみながら、その楽しさを次の世代へとバトンタッチしていきたいですね。