NOTOFUE(ノトフュー)

MAKINONCÎ

牧野 浩和

Hirokazu Makino

Profile

1979年、金沢市出身。19歳で料理の世界に入り、京都、名古屋、東京銀座の名店「ル・マノアール・ダスティン」を経て、仏ブルゴーニュのレストランで修行を開始。帰国後の2007年、故郷の金沢にて「フランス料理makino」をオープンする。2020年、山の上町に移転し「MAKINONCÎ(マキノンチ)」としてリニューアルを果たした。

「MAKINONCÎ」が大切にしていることは?

コンセプトは「僕の家」。カウンターを主としたオープンな空間で、パチパチと弾ける薪の音を聞きながら、目の前で調理されるライブ感を味わっていただくのが僕のスタイル。フレンチという枠にとらわれず、まるでお家で食事をするように、リラックスして料理を召し上がっていただけるような雰囲気づくりを心がけています。使用する食材は地産地消にこだわり、北陸の旬の味覚や自分で釣り上げた魚介を取り入れながら、メニューを組み立てています。

なぜ、NOTOFUEの活動を始めようと思ったのですか?

資源の枯渇を伝えるニュースなどによって「普段使っている食材が、当たり前に使えなくなる日が来るのでは?」という不安は、日頃から感じていました。ただ、なにが原因かというとイマイチ分からない。そういった疑問や不安を抱える料理人の集まりが「NOTOFUE」であり、自分もその一員として資源問題に関する知識を深めるために、このプロジェクトに参画しました。

NOTOFUEを通じて、創造したい未来像はありますか?

15年前からお付き合いのある農家さんには後継者がいません。その方の作る野菜はとても美味しく、僕の料理には欠かせない存在なのですが、いつそれが使えなくなるのかと不安になることがあります。そういった意味でも、農業、漁業、林業などの一次産業を根底から支えるため、後継者問題をはじめとする雇用の創出や技術の継承にも目を向けていきたいと思っています。それと同時に釣り人として、アオリイカのエギング(ルアー釣り)で頻繁に起こるルアーのロストにも着目し、能登の海で失われたルアーの回収にも取り組んでいく予定です。

最後にシェフご自身の意気込みを聞かせてください。

この活動を通じてさまざまな知識を取り入れながら、資源の枯渇に対する視野を広げていくのが僕の目標。その上で、得た知識を溜め込むのではなく、つねに発信する、行動する意識を持ち続けたいと思っています。自分のお店の存続だけでなく、後輩や子供たちのためにも今ある恵まれた食材を未来につなげたい。そのためには、料理人だけでなく生産者や一般の人たちも巻き込んで、ジャンルの垣根を越えたつながりを深める、積極的な姿勢が大切だと感じています。